脱!親コピー期。いざ、カスタマイズ!
いよいよ、息子が小学3年生になりました。
4月から、息子が「小学3年生」として小学校に通っています。
はやいな~。
私は、息子が「小学3年生」を迎えるのを特別な思いで待っていました。
なぜかというと、
「小学3・4年生の在り方が、本当のその子らしさ」
と、「ばななせんせい」が言っていたからです。
「小学1・2年生は親のコピー期、小学5・6年生は親の社会性のコピー期」
なのだそうです。
親コピー期の中間にある小学3・4年生に「その子が、その子らしくある在り方」が出始めるというのです。
じゃあ、親コピー期の悩みって・・・
ばななせんせいのこの説、聞いた瞬間は「へえ~(鵜呑み)」って思いました。
でもその2秒後ぐらいに「え?ちょっと待って」と思いました。
だって、、、ということは、、、
コピー期の息子に対する悩みは、そのまま自分自身の悩みということになるのか!?
この親コピー説を聞いたのは、息子が「親コピー期」真っ盛りの頃です。
その頃の私は、息子(当時5~6歳くらい)に対して悩んでいたのです。
自分の親としての関わり方に自信が持てずにいた頃でした。
- 息子の本音がわからない
- 息子は、周りに気をつかって本音を言ってないような気がする
- 察してもらうまで、自分の要求を言わないでいる
親コピー説を信じるなら、私が本音を言ってないということになるわけですよ。
上の項目全部、自分に跳ね返ってくるわけです。
そう考えると「まさか!(コピー!?)」と思いました。
私、どちらかといえば本音で生きてる方だし!
全然、いつも本音言ってるし!と。
じゃあ、父親(夫)の方をコピーしてるのか?
ん?じゃあ幼少期の兄弟・姉妹・双子は、みな同じ性格になっちゃうってこと?
・・・って頭の中に、いろんな疑問が沸きました。
やっぱり、コピーされてた
私の中でいろんな「?」が沸き起こったこの説ですが、今は腑に落ちています。
考えてみれば、人間も動物なのだから、最初は本能的に身近な存在を真似る。
身近な親を模倣の対象として、成長するために生き方を真似る時期がある。
生きるための戦略として、ごく自然に親をコピーしようとするんだと納得しました。
同じ親をコピーしてても、兄弟や双子で違いが出るのも生きるための戦略なのかなと。
やばい、キャラかぶるじゃん!じゃあ反転コピーで真似るよ。みたいな?
ばななせんせいは、こうも言いました。
こどもは、おかあさんの「ほんとう」を見抜いている。
そして、おかあさんのほんとうの姿を愛している
私はこの説を、じわりじわりと受け入れました。
息子は懸命に私をコピーしてくれたなあと思います。
私の本音を言わない関わり方をコピーして見せてくれていました。
本音をなかなか見せない親のコピー期を終えて、息子はこれからどんな在り方を示していくのかなぁ。
コピーから、どんなカスタマイズをしていくのか、楽しみだけど、ちょっとこわいです。
くそばばぁああとか言われちゃうのかなー。笑
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※ばななせんせいについて
ばななせんせいの親コピー説が気になった方は、ばななせんせいのインタビュー記事もぜひ読んでみてください。
私は、このインタビュー記事にある「あり方スクール」の自分科・かかりの時間を体験して、自分が本音をなかなか言わないでいたと気づきました。(^^;
ママのための学校『あり方スクール』インタビュー「頑張りすぎるママへ」伝えたいこと(1/3) - ハピママ*
「ばななせんせい」について記事を書きました。
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追記:2022/09/07
「あり方スクール」を私が体験した頃は、ばなな先生は小学校で現役の先生をされていたので、講座にかかる費用はほとんどないに等しかったのですが、現在は「よかよか学院」という場を設けて「自分科」「かかりの時間」活動に専念されています。
より多くの方が「かかりの時間」と出会う機会が増えたことは嬉しい反面、講座の回数と費用設定も、以前より多くなっています。
受講は敷居が高いな…と思う方へ、ばなな先生のブログとYouTubeを貼っておきます。
「かかりの時間」は、その講座を受けに来ているもの同士が鏡となって気づきを与え合うような内容で「他人」の存在が大きなカギになるような気がします。
自己内省だけでは気づけない感情・違和感が出てきます。
その違和感に自分らしさのヒントがあったような気がします。
ブログやYouTubeからもそんな違和感を感じるかもしれません。
私がここに綴った体験が誰かのヒントに繋がりますように。
そして何かに依存することなく、自立した自分に出会えますように。
ばなな先生のブログ:
【館林・全国】ばなな先生のお母さん応援プロジェクト~元教師が日本中のお母さんに「それでいい」を届けます~
『ぼく、にげちゃうよ』が好きになった
母が子供の自立心を潰す怖い絵本だと思ったけど
この絵本、読み方次第ではかなり恐怖なんですが、私は好きです。
昨日、はっきり好きだと言えるようになりました。
昨夜の読みきかせで、小2の息子がリクエストしてきて、久々に読みました。
なぜ、読み方次第で恐怖かというと、このウサギのお母さん、必ず子ウサギの息子を捕まえるのです。
子ウサギがあの手この手で逃げようとしても、ならば私はこうするわよ!っと逃がさない。
お母さんの執念がすごい。
すると、最終的に子ウサギは逃げるのを諦めちゃうんです。
「ふうん。だったら、うちにいて、かあさんのこどもでいるのと おんなじだね」と。
怖くないですか?!
でも、逃げ方と追い方がファンタジー
この絵本、子供の自立をダメにしちゃうやつじゃないのか?!って最初は思いました。
でも、この絵本の魅力的なところは、逃げ方と追い方がファンタジーなんです。
この絵本を最初に読んだのは息子が小1のときでした。
怖い絵本だなと思っていましたが、見開き絵で盛り上がると確信していたので、読み聞かせボランティアでクラスの子ども達の前でも読みました。
この絵本のストーリーには展開パターンがあって、最初は親子の言葉のやり取りがあります。
子ウサギ「ぼく、にげちゃうよ!〇〇になってなんちゃらかんちゃら~」
母ウサギ「お前が〇〇になるなら、母さんは△△になってなってなんちゃらかんちゃら~」
このとき挿絵はモノクロ画です。
でも次のページを開くと、カラーの見開き絵になります。
そして、〇〇になった子ウサギと△△になった母ウサギの様子が描かれている。
見開きに文字は一切なくて、絵だけが物語ります。
宣言どおりに、子ウサギが〇〇になっていて、母ウサギが△△になっている。
たぶん、親子の会話でちょっと想像したイメージの斜め上をいく絵なんです。
斜め上というか、想像しきれなかった部分がちゃんと絵になっている。
この見開き絵のタイミングはしばらく眺めて楽しめます。
子ども達の反応はというと、、指さして盛り上がる。
これぐらいの年頃の子どもにしてみたら、大好きなママが追いかけてくれるって感じなんでしょうか。
母ちゃんスゲーっ
昨日も、久しぶりに読んでみて息子は笑ってました。
今まであまり気にしていなかったある箇所に気づいて。
子ウサギが魚になって逃げるシーンで、母ウサギは漁師になっているところなんですが、その母の前の大木がバキッと折れている。
なんで折れているのか?!
母がバキッと蹴りでもいれたのか拳で殴ったのか?!
母ちゃんすごっ、こわっ。笑
そんなこと想像して、笑いました。
読み方次第では恐怖です。
けど、だんだん執念の母がコミカルに見えてきて、途中から母ウサギと子ウサギのお約束漫才のように読みました。
子ウサギ「ぼくにげちゃうよん♪」
母ウサギ「じゃあこうするよん♪」
みたいな、ノリノリな感じで読んでみました。
どちらも内心、「逃げなくてもいいや」「逃げてもいいや(いいのよ)」みたいな感じです。
「だったら、うちにいて、かあさんのこどもでいるのと おんなじだね」ってセリフが、
「なんだ、逃げても逃げなくても自由だね」って思えたから不思議。
この絵本、好きになりました。
▼絵本
ぼくにげちゃうよ (海外秀作絵本) | マーガレット・ワイズ・ブラウン, クレメント・ハード, 岩田 みみ |本 | 通販 | Amazon
HAPPY BIRTHDAY
3月14日、今日は花菜ちゃんの誕生日なので。
今日、花菜ちゃんとのメッセージのやり取りで、ブログに絵をアップする流れになりました。
誕生日だし、花菜ちゃんにちなんだ絵を描きたいなって言ったら、じゃあ描いたらブログにあげてって言われて。
今また描こうとする私がいるのは、花菜ちゃんのおかげ(その時の記事はこちら)なので、花菜ちゃんにちなんだ絵をアップするのは良いきっかけになるなと思いました。
でもさっきまでは、絵をアップするのは今日じゃなくて、描きあがったとき、いつになるかわからないけれど、「いつか」って思ってました。
でも、先延ばしにするのはやめようと。
やっぱり今日、捧げようと。
でも、もう”今日”は30分しかない。
なので、昔に描いた絵だけれど、この絵をアップすることにしました。
この絵は、20年くらい前に描いたもの。
私たちが23歳の誕生日を迎えた頃に描いたものです。
時の流れを絵にできたシミがリアルに語ってる。
先が見えなくて、不安で、でも夢があった頃。
二人でよく泣いて、笑った頃。
20年経った今でも同じように、それ以上に、不安もあるけれど。
一緒にずっと泣いたり笑ったりできていることに感謝しかない。
花菜ちゃん、ありがとう。
そして、お誕生日おめでとう!
間に合った〜!!
20ウン年ぶりの水張り
とりあえず、好きな色を塗ろうと描き始めたマブエですが…
またすぐに壁にぶつかりました。
紙って濡れるとボコボコしてくるの忘れてた!
舐めてた〜。
昔、アトリエ時代、毎日のようにやっていた水張りをしていませんでした。
気持ちよくアクリル絵具を溶いて滲ませていたら、あれよあれよと波打つ画用紙。
テンション駄々落ちです。
翌日、花菜ちゃんにLINEで「こんなにボコボコするっけ?!」て送信。
「花菜ちゃんは毎回、水張りしてるのか?」と問う。
花菜ちゃんはイラストボードで描いてるからそんなに気にならないと返答が来る。
でも水をたっぷり含ませると、ボードでもかなりボコるよと。
そっかー。
よっしゃ水張りしますかっ!
日を改めて、水張りテープとパネルを買いに行きました。
こうゆう画材を買いに行く行為そのものが、描き始めた自分に訪れた久しぶりの経験。
いろいろと物入りね〜って思いつつ、どこか嬉しい。
いざ水張り!
水張りテープの色は白派です。
黒色、緑色、グレー、クラフトと、アトリエ時代にいろいろ試して白が一番好き。
ほんのちょっとの違いだけど、白が一番薄くて折り曲げやすい。(気がする)
白テープだと、側面まで画面が続く感じになるのも好きです。
パネルは小さいサイズを買いました。
アトリエ時代はB2パネルを使っていたので、このサイズならお茶のこ!って余裕で水張り始めたけど、ブログ用にと写真を撮りながらやってたら紙が乾き始めてちょっと慌てました。
20ウン年ぶりに水張りやってみて、楽しかった。
絵?絵はまだ描いてません。
張ったままです。
ガネーシャが睨んでます。
机を出して初めての週末
前回の記事「脳内ガネーシャの日々」の続きです。
机を出す前、休日のリビングはいつもこんな感じだった。
コタツに入る
↓
息子に誘われて一緒にスプラトゥーンを楽しむ
↓
息子がスプラトゥーンに飽きる
↓
息子がひとりでドラクエをやり始める(私のフリータイム到来)
↓
スプラトゥーンをひとりでやり続ける私
私のプレイに、息子がアドバイスを壁に貼りだしました。
正直ハマってますSwitch。
親子でSplatoon 2 (スプラトゥーン2) に励んでます。
…そう。
これまでは、コタツの上に画材を広げようとするも、目の前にあるコントローラーの誘惑に負けてしまう日々でした。
今ならわかる。
コタツはまったりするようにできている。
コタツはゲームと相性抜群。
コタツは誘惑の怪物。
コタツはリビングの魔物。
(そんなコタツで、真面目に宿題を終わらせている息子偉いね…)
でも、もうコタツで描く必要はないのだから!
机出したから!
机を出して初めての週末はこうなりました!
コタツに入る
↓
息子に誘われて一緒にスプラトゥーンを楽しむ
↓
息子がスプラトゥーンに飽きる
↓
息子がひとりでドラクエをやり始める(私のフリータイム到来)
↓
私は寝室へ←ここが違う!!!
ドラクエでゾーン(超集中状態)に入った息子をそっとリビングに残し、とりあえず寝室の机に向かった。
いつでも描けるように並べて置いたアクリル絵の具。
出しっぱなしにしておいたスケッチブック。
何を描くか決まってないけれど、ようやく筆を握る自分にワクワクした。
やっとやっと描ける時間を前にして、深呼吸。
アイデアスケッチの中から、何を描こうか選ぶ。
「・・・」
真っ白な紙を前にして、私の頭の中も真っ白だった。
イメージがラフから進まない。
脳内ガネーシャ「えっ?」
私「えっ?」
「どんだけ~。」脳内IKKOも叫んだ。
どれだけのブランクがこうさせてしまうのか。
私はもう描き人ではなくなっていることを痛感した。
とにかく今日は何でもいい。
好きな色を使って塗ってみよう。
次回へつづく・・・
脳内ガネーシャとの日々
「また描きたい!」と強く思った去年の暮。
あれからコツコツとモチベーションを積み上げては、積み崩しているマブエです。
石橋を叩いて渡ろうとして、叩きこわして渡れなくなっちゃういつものアレです。
そんな私ですが、やっと描いてみようと思い立ちました!
画材を買ったり、仏像を見に行ったり(←これも記事にしたい)、ギャラリーに足を運んだりと、刺激をためつつありました。
クロッキー帳にアイデアを書き留めたり、簡単なイメージラフを描いたり。
「ほら、そろそろ描きたくなったんちゃうん?自分?」って、私の中のガネーシャがささやきました。
「そうだねガネーシャ」心でつぶやく私。
でもその勢いは1日で消えることになります。
「描ききる気力」が保てないことに気づきました。
「描きたい好奇心」は常にあるのになぁ。
描ききれない自分の弱さに落ち込む。
ああ、やっぱり自分は・・・って萎えてました。
しかも描く場所はコタツ。
コタツに広げる画材は、息子の宿題の丸付けの邪魔になった。
ちゃんと描ける机が欲しい。
環境のせいにし始めた。
今の私に必要なのは「モチベーションを保つ環境」かもしれない。
アトリエが欲しい。
ずっと散らかしておけるスペースが欲しい。
描くはずの日々が、素敵なアトリエを画像検索する日々に変わっていた。
「そろそろIKEAにでも行きたいな♪」
そう口に出そうとしたとき、脳内ガネーシャにひっぱたかれました。
脳内ガネーシャ「目を覚ませ」
私「ですよね。」
オシャレかどうかは二の次なのです。
描きっぱなしでいられるようにと、寝室にデスクを組み立てました。
一人暮らしの頃に使っていた組み立て式のパソコンデスクです。
粗大ごみかリサイクルに出そうと思いながら、処分しきれずにいたデスク。
狭い寝室が更に狭くなりました。
でも、心おきなく散らかしておけるスペースが与える効能は大きい。
やる気になりました。
次回へつづく・・・
注記)脳内ガネーシャとは
水野敬也(著)「夢をかなえるゾウ」
この本を読んでから、私の脳内にはガネーシャがいます。
以下、本のあらすじです。
主人公はどこにでもいる普通のサラリーマン。
彼はこれまでにも自己啓発の本を読んだり、自らを変えようとしていたが、三日坊主の性格が災いして失敗し続けてきた。
そして、会社の先輩の友人・カワシマ(実際には名刺交換しただけ)が開いたパーティーに出席した彼は、そこで有名人やアイドルの友達が談笑しているのを目の当たりにし、自分の住んでいる世界との差を痛感する。
その夜、彼は泥酔したままインド旅行で買った置き物に「人生を変えたい」と泣き叫ぶと、次の朝、枕元に関西弁を話す謎の生物が。
それは置き物から化けて出てきた神様・ガネーシャであった。
主人公はガネーシャに振り回されながらも、夢を成すためにガネーシャの課題を行うことになる。本書では「ガネーシャが与えた課題を実践し、身につくまで継続することが大切である。」 と謳っている。
自分が変わることに期待しているうちはいいが、時間がたつと「自分は変われない」という考えになり、それがいつまでも続いていくのが変われない理由だとし、継続した実践の大切さを強調している。
赤ちゃんとして生まれて死ぬまでの間を点とする
海外ドラマ『THIS IS US 36歳、これから』
最近とてもハマっている海外ドラマがあります。
『THIS IS US 36歳、これから』。
※ 2月4日(日)23:00~、2話連続で最終話まで放送されます!
去年の年末、山田花菜ちゃんの絵を買ったことを記事にしましたが、その頃から花菜ちゃんにずっと勧められていたドラマです。
日曜の夜にNHKで放送されていて、観たことがなかったのだけど、今年の初めに第一話から一挙放送していたので、それから観るようになりました。
第一話を見終えた感想は「どんな展開になるんだろう?なんで花菜ちゃんは私に勧めたんだっけ?」でした。
1話を見終えた段階で花菜ちゃんに早速、おススメした理由を問うと、「とにかく、何も聞かずに見てほしい」と。
「あと、高橋一生の吹き替えも楽しめ」と。笑
一挙放送分の13話まで観た時には、花菜ちゃんが言わんとすることが理解できました。
1話1話と観ていくうちに、「点」と「点」がつながっていき、景色が広がっていく感じ。
その「点」は、名前だったり、言葉だったり、人だったり、場所だったり、時間だったり。
人生にはいろんな伏線があって、その伏線はいろんな人の点からできていて。
今なら花菜ちゃんが、この景色を共有したかったんだってわかる。
赤ちゃんとして生まれて死ぬまでの間の景色。
私たちはずっと順繰り順繰り繰り返しているものがある。
私は幼い頃、父に背中を掻いてもらうの好きでした。
寝るときはいつもそうしてもらいました。
今、私は息子にそうしています。
息子もいつか、ちいさな背中を撫でながら眠る日が来るのかもしれない。
このドラマは録画しているので、昼間に観ると8歳の息子もじっくり見入ってます。
その横で私は、ツーツツーと涙を流しながら観ています。
「全米が泣いた」ってよくいうけどさ、私に言わせたら「私の中にいる全私が、泣く」。
独身の頃の私がケビンやケイトを観て涙を流す。
親になった私が、ウィリアムやジャックを観て涙を流す。
親でもあり子でもある私がランダルを観て涙を流す。
女の私がレベッカを観て涙を流す。
そして全私がトビーに笑う!
そしてミゲルがどうしてよ!?
最終話が楽しみです。
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