マブエの絵本日記

絵本を読んだこと、見たこと、思うことなどを綴ります。

机を出して初めての週末

 前回の記事「脳内ガネーシャの日々」の続きです。

机を出す前、休日のリビングはいつもこんな感じだった。

コタツに入る

息子に誘われて一緒にスプラトゥーンを楽しむ

息子がスプラトゥーンに飽きる

息子がひとりでドラクエをやり始める(私のフリータイム到来)

スプラトゥーンをひとりでやり続ける私

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私のプレイに、息子がアドバイスを壁に貼りだしました。

正直ハマってますSwitch。

親子でSplatoon 2 (スプラトゥーン2) に励んでます。


…そう。
これまでは、コタツの上に画材を広げようとするも、目の前にあるコントローラーの誘惑に負けてしまう日々でした。

今ならわかる。
コタツはまったりするようにできている。
コタツはゲームと相性抜群。
コタツは誘惑の怪物。
コタツはリビングの魔物。
(そんなコタツで、真面目に宿題を終わらせている息子偉いね…)


でも、もうコタツで描く必要はないのだから!
机出したから!
机を出して初めての週末はこうなりました!

コタツに入る

息子に誘われて一緒にスプラトゥーンを楽しむ

息子がスプラトゥーンに飽きる

息子がひとりでドラクエをやり始める(私のフリータイム到来)

私は寝室へ←ここが違う!!!

 

ドラクエでゾーン(超集中状態)に入った息子をそっとリビングに残し、とりあえず寝室の机に向かった。
いつでも描けるように並べて置いたアクリル絵の具。
出しっぱなしにしておいたスケッチブック。

何を描くか決まってないけれど、ようやく筆を握る自分にワクワクした。
やっとやっと描ける時間を前にして、深呼吸。
イデアスケッチの中から、何を描こうか選ぶ。

「・・・」

真っ白な紙を前にして、私の頭の中も真っ白だった。

イメージがラフから進まない。

脳内ガネーシャ「えっ?」

私「えっ?」

「どんだけ~。」脳内IKKOも叫んだ。

どれだけのブランクがこうさせてしまうのか。
私はもう描き人ではなくなっていることを痛感した。

とにかく今日は何でもいい。
好きな色を使って塗ってみよう。

次回へつづく・・・

 

脳内ガネーシャとの日々

「また描きたい!」と強く思った去年の暮。

あれからコツコツとモチベーションを積み上げては、積み崩しているマブエです。
石橋を叩いて渡ろうとして、叩きこわして渡れなくなっちゃういつものアレです。

そんな私ですが、やっと描いてみようと思い立ちました!

画材を買ったり、仏像を見に行ったり(←これも記事にしたい)、ギャラリーに足を運んだりと、刺激をためつつありました。
クロッキー帳にアイデアを書き留めたり、簡単なイメージラフを描いたり。

「ほら、そろそろ描きたくなったんちゃうん?自分?」って、私の中のガネーシャがささやきました。

「そうだねガネーシャ」心でつぶやく私。

でもその勢いは1日で消えることになります。

「描ききる気力」が保てないことに気づきました。
「描きたい好奇心」は常にあるのになぁ。

描ききれない自分の弱さに落ち込む。
ああ、やっぱり自分は・・・って萎えてました。

しかも描く場所はコタツ。
コタツに広げる画材は、息子の宿題の丸付けの邪魔になった。
ちゃんと描ける机が欲しい。

環境のせいにし始めた。
今の私に必要なのは「モチベーションを保つ環境」かもしれない。
アトリエが欲しい。
ずっと散らかしておけるスペースが欲しい。

描くはずの日々が、素敵なアトリエを画像検索する日々に変わっていた。
「そろそろIKEAにでも行きたいな♪」
そう口に出そうとしたとき、脳内ガネーシャにひっぱたかれました。

 

脳内ガネーシャ「目を覚ませ」

私「ですよね。」

 

オシャレかどうかは二の次なのです。
描きっぱなしでいられるようにと、寝室にデスクを組み立てました。
一人暮らしの頃に使っていた組み立て式のパソコンデスクです。
粗大ごみかリサイクルに出そうと思いながら、処分しきれずにいたデスク。

狭い寝室が更に狭くなりました。
でも、心おきなく散らかしておけるスペースが与える効能は大きい。
やる気になりました。

次回へつづく・・・

 


注記)脳内ガネーシャとは

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水野敬也(著)「夢をかなえるゾウ」
この本を読んでから、私の脳内にはガネーシャがいます。

以下、本のあらすじです。

主人公はどこにでもいる普通のサラリーマン。
彼はこれまでにも自己啓発の本を読んだり、自らを変えようとしていたが、三日坊主の性格が災いして失敗し続けてきた。
そして、会社の先輩の友人・カワシマ(実際には名刺交換しただけ)が開いたパーティーに出席した彼は、そこで有名人やアイドルの友達が談笑しているのを目の当たりにし、自分の住んでいる世界との差を痛感する。
その夜、彼は泥酔したままインド旅行で買った置き物に「人生を変えたい」と泣き叫ぶと、次の朝、枕元に関西弁を話す謎の生物が。
それは置き物から化けて出てきた神様・ガネーシャであった。
主人公はガネーシャに振り回されながらも、夢を成すためにガネーシャの課題を行うことになる。

本書では「ガネーシャが与えた課題を実践し、身につくまで継続することが大切である。」 と謳っている。
自分が変わることに期待しているうちはいいが、時間がたつと「自分は変われない」という考えになり、それがいつまでも続いていくのが変われない理由だとし、継続した実践の大切さを強調している。

夢をかなえるゾウ - Wikipediaより引用

赤ちゃんとして生まれて死ぬまでの間を点とする

海外ドラマ『THIS IS US 36歳、これから』

最近とてもハマっている海外ドラマがあります。

『THIS IS US 36歳、これから』。
※ 2月4日(日)23:00~、2話連続で最終話まで放送されます!

www4.nhk.or.jp

去年の年末、山田花菜ちゃんの絵を買ったことを記事にしましたが、その頃から花菜ちゃんにずっと勧められていたドラマです。

日曜の夜にNHKで放送されていて、観たことがなかったのだけど、今年の初めに第一話から一挙放送していたので、それから観るようになりました。

第一話を見終えた感想は「どんな展開になるんだろう?なんで花菜ちゃんは私に勧めたんだっけ?」でした。

1話を見終えた段階で花菜ちゃんに早速、おススメした理由を問うと、「とにかく、何も聞かずに見てほしい」と。

「あと、高橋一生の吹き替えも楽しめ」と。笑

 

一挙放送分の13話まで観た時には、花菜ちゃんが言わんとすることが理解できました。

1話1話と観ていくうちに、「点」と「点」がつながっていき、景色が広がっていく感じ。

その「点」は、名前だったり、言葉だったり、人だったり、場所だったり、時間だったり。

人生にはいろんな伏線があって、その伏線はいろんな人の点からできていて。

今なら花菜ちゃんが、この景色を共有したかったんだってわかる。

 

赤ちゃんとして生まれて死ぬまでの間の景色。

私たちはずっと順繰り順繰り繰り返しているものがある。

 

私は幼い頃、父に背中を掻いてもらうの好きでした。

寝るときはいつもそうしてもらいました。

今、私は息子にそうしています。

息子もいつか、ちいさな背中を撫でながら眠る日が来るのかもしれない。

 

このドラマは録画しているので、昼間に観ると8歳の息子もじっくり見入ってます。

その横で私は、ツーツツーと涙を流しながら観ています。

全米が泣いた」ってよくいうけどさ、私に言わせたら「私の中にいる全私が、泣く」。

独身の頃の私がケビンやケイトを観て涙を流す。

親になった私が、ウィリアムやジャックを観て涙を流す。

親でもあり子でもある私がランダルを観て涙を流す。

女の私がレベッカを観て涙を流す。

そして全私がトビーに笑う!

そしてミゲルがどうしてよ!?

 

 最終話が楽しみです。

 

THIS IS US 36歳、これから オリジナル・サウンドトラック

THIS IS US 36歳、これから オリジナル・サウンドトラック

 

 

会えない時のために、こんにちはとこんばんは!

 

映画『トゥルーマン・ショー

私の好きな映画のひとつに『トゥルーマン・ショー』という映画があります。

主人公のトゥルーマンは、産まれた瞬間から秘密があった。

周りの誰もが知っていて、本人だけが知らない秘密。

ある日、そのことに気づいて・・・

 

私はこの映画を観ると、自分が幼い頃に感じていた神様の存在を思い出します。

神様というか、、思い出すというか、、何て言えばいいだろう。

何か自分以外の大きな意思によって自分が動かされているような感覚です。

でも無理やり動かされているわけではなくて、見守られているような。

 

トゥルーマン・ショー』の詳しいことはここに書きません。

ぜひ、観てください!
 

じゃあなぜ、『トゥルーマン・ショー』の話をするかというと、最近すごく自分の人生を演出されているような「リンク」や「シンクロ(シンクロニシティ)」を感じるからです。

 

この何日か、「やろうとしていること、思うこと」にタイミングよく情報が飛び込んできます。

私の全てを知っている誰かに、いろいろな出来事を仕込まれているような感覚になります。

まさに「トゥルーマン」状態。

 

今朝もこんなことがありました。

駅でバンバンと音を立てながら看板広告を張り替えている人がいました。

不自然なくらい大きな音を立てているので目線をそちらへ送ると、広告にこう書いてありました。

いつか輝こうじゃなくてさ、ことし輝こうぜ、ぜったい

 

・・・・!?

またしてもメッセージに思えました。

まごまごしている私のドラマに、しびれをきらした監督(視聴者?)からの。

 

ほんとうに不自然なほど看板をバンバン叩いていたその人は、私が目線を送るやいなやスッとその場を去ったので、私が気づくまで叩いてたのか?と思うほどでした。

頭上から大きな照明が落ちてくるんじゃないかって思いました。

(『トゥルーマン・ショー』観たらわかると思う)

 

トゥルーマン・ショー』を観ると、神様のような存在を思うのはこうゆうことかもしれない。

点と点がどんどん繋がっていく感覚や出来事。

そうゆう感覚を「神様」と私は呼ぶのかもしれないです。

最近、神様の気配を感じています。

 

トゥルーマン・ショー(通常版) [DVD]

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こわいことやるの おもしろいって、わたし わかったんだもーん

絵本『ダンプえんちょうやっつけた』

昨日は息子にリクエストされて『ダンプえんちょうやっつけた』を読みました。

この絵本に出てくるセリフにこうゆう言葉があります。

「わたし、こわいんだも〜ん。こわいことやらないんだも〜ん。」

ちょっと臆病な女の子、さくらちゃんの口癖です。

だけど、最後はこう言います。

「こわいことやるの おもしろいって、わたし わかったんだもーん」

 

ん?

失敗を怖がる臆病な私(前回の記事をご参照ください)へのメッセージですか?

何度も読んで知っているセリフだし、いつもは息子に伝えるように読んでいるセリフなのに、昨日は神様から言われているように思いました。

 

さくらが「こわいことやるの おもしろいっ」て気づくまでの流れ、ぜひ読んでみてほしいです。

 

『ダンプえんちょうやっつけた』は、『おしいれのぼうけん』と同じ作者の絵本です。

長い話なので、寝る前にこれをリクエストされると、ウッと一瞬たじろぐ(寝る時間が遅くなる)けど、読み始めると不思議と読んでて苦にならない。

スピード感があってグイグイと世界に引き込まれていきます。

子どもたちの考えた作戦が思い描いた通りには成功しない。

だけど、それぞれの仕掛けが思いもよらないタイミングで功を奏でる。

伏線回収されていくドラマを見ているようで爽快です。


この絵本を読んだのは、息子が小学校の図書室で借りてきたのが最初。

「この本、買ってほしいな」と、めずらしく息子から頼まれて買いました。

息子はこの絵本をとても気に入りました。

私も、登場人物たちが歌うようにセリフを掛け合うシーンが好きです。

私は初めてこの歌うシーンを読んだとき、どう読んだら良いか探り探りで、ちょっと原田泰造ネプチューン)の自己紹介みたいな読み方(歌い方)をしました。

どんなふうか、伝わりますかね?笑

「まぁがったぁ~ことぉは大嫌い~♪ 、 は~ら~だ・たいぞぉですっ♪ 」みたいな。

可笑しかった。

息子とゲラゲラ笑いました。

今では、息子が作曲したフレーズがあって、そのとおりに読まないとダメ出しされます。

よそさまでは、どんなふうに読んでるんだろう。

我が家は演歌ふうで、「えぇんちょうは~ダァアンプで~、おれはガラパン~♪」の最後の「ン」の伸び音で半音あげます。笑

 

それから、昨日、面白いことに気づきました。

タイトルが『ダンプえんちょうやっつけた』ってネタバレじゃないですか?

どうして『ダンプえんちょうやっつけろ』にしなかったのかなあって。

どっちが勝ったかわからない方がドキドキしない?

私がそうつぶやいたら息子が言いました。

「『やっつけた』だからいいんだよ」と。

「どうやっつけたのか、すごい気になるでしょ」と。

確かに。

確かに!

絵本を読むと、こうゆう息子の目線に触れる機会があるから楽しい。

ドキっとします。

 

 

▼絵本

ダンプえんちょうやっつけた (絵本・ぼくたちこどもだ) |本 | 通販 | Amazon

 

有言不実行の私へ「失敗してもいいよ」

書きたいことが溜まっています。

どうして溜めちゃうか。

やっぱり構えてるんだな。

あーして、こーして、こんなふうに見せたいって。

それじゃ、また今までの二の舞だと思うので。

やるやる詐欺にならないために、今、先に行動するということをしてみてます。

この記事は、ぶっつけ本番で、書いてすぐ公開しようと思います。

なんかドキドキしてきました。

『この「ひとりごと」は誰かに読まれている』という事を良いプレッシャーにしたいと思います。

 

某日、会社を休んで一日ひとりで行動していました。

その前日は、読み聞かせの当番で小学校へ絵本を読みにも行っていました。

それらのことを記事にしようといろいろ考えていたら、きっとまた動けなくなっていく自分に気づきました。

なのでまずは、「こうしようと思っている今」を打ち明けてみようと、この記事を書いています。

 

さっき、某日って書きましたが、ぶっちゃけ昨日です。
そして昨日はすごく濃い1日で、アウトプットに時間がかかりそう。

そして今日はこのあと、授業参観です。

書きたくなりそうな事が溜まっていく一方です。

計画通りに進めた事、行き当たりばったりに行動した事、感動した事がたくさんあるのだけど、それを伝えようと思うと途端に構える自分がいます。

「ちゃんと~しなきゃ」という強迫観念で行動している(結局行動できない)私を今、もうひとりの私が「失敗してもいいよ」と背中をさすっている状態です。

 

 

マブエ、花菜ちゃんの絵を買う。

人生の転機となる絵

山田花菜:ふゆの子どもたち

山田花菜ちゃんの絵です。

小田原のミントココアというカフェで開催されていた『こども風景』という個展での作品です。

初めて、ちゃんとお金を払って花菜ちゃんの絵を手に入れました。

「マブエの日記は役に立とうと構えすぎだよ」って言ってくれたのは、この花菜ちゃんです。

花菜ちゃんとは昔、同じアトリエに通っていました。

私にとって、花菜ちゃんの作品を買うという行為は、特別な事です。

どんなふうに特別なのか、どうして今まで買おうとしなかったのか、うまく説明できないのだけど。

私の中でいろんな思いがありました。

私が花菜ちゃんの絵を買う時がきたら、それは私が「絵を描かなくなったとき」のような気がしていました。

それは私が「夢を諦めたということ」と同義のような気がしていました。

花菜ちゃんがひたむきに絵本作家を目指していく中で、私はどんどん描くことから遠ざかっていました。

私の仕事上の肩書は「デザイナー」となり、絵具や筆を握ることはなくなっていました。

子どもを産み、母となった自分は「イラストレーターになる夢が叶わなかった大人」として受け入れる時期にきたんだと思っていました。

でも今年の夏、父が脳梗塞を発症して体の自由を失ったのを機に「生きる時間」について深く考えるようになりました。

私の気持ちは変わりました。

花菜ちゃんに「この絵を売ってほしい」と言ったときの私の気持ちは違うものでした。

「夢を諦める」のではなくて「もういちど夢を叶える努力をしたい」という気持ちでした。

この絵の中には、自分の息子がいるような気がしています。

私には、一番上で寝ているのが息子で、

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赤いズボンの子が花菜ちゃんの長男くんで、

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ブランコに乗っているのが次男くんに見えます。

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白いフクロウは自分に思えました。

そのことを伝えたら、花菜ちゃんがアヒルを添えてくれました。

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個展中はフクロウしかいませんでした。

ヒルは花菜ちゃんという設定です。

これからも、この絵のようにお互いの息子たちを見守りながら、自分の「今」も楽しんでいきたいと思います。

大げさだけど、私はこの1枚の絵を買ったことを大きな転機にしたいと思っているのです。