私が「読み聞かせボランティア」を続ける理由
理由1:ライブ感が好き
2016年9月から「読み聞かせボランティア」を始めて…もうすぐ2年。
子ども相手が得意とは言えない私が、続けています。
なぜか?
なんだろうなあ。
人それぞれ、続ける理由があると思うけれど、私は『みんなとのライブ感』が気に入っているんだと思う。
絵本を読んでみた時の子どもたちの反応とか空気。
それは家で息子に読み聞かせしている時とはちょっと違う体験。
まっすぐな視線の中、バラードを歌っているような錯覚に陥るときもある。
みんなでアトラクションに乗っているようなときもある。
読み聞かせボランティアを始めて本当によかったと思っている。
朝15分程度の出来事が、私の中では一大事になっている。
絵本の1冊1冊が、ライブステージで流れる曲のように子どもたちを揺らしていく。
この、絵本の後ろから見る景色は病みつきになる。
理由2:選書は悩むけど、楽しい
読み聞かせで「何」を読むか。
何をどんな順番で読むか。
ここを考えめぐらす時間が楽しい。
「何を読んだらいいですか?」という質問は、「どう生きたらいいですか?」という質問と同義です。
この一言は、私にとって、選書の迷いを払拭する言葉だった。
私がどう生きたいか。
それを他の誰かが答えられるものではない。
たとえ他の誰かと「選書」がかぶっても気にならなくなった。
「誰かが前に読んだ絵本かもしれない」とか、気にしなくていい。
良いと思う絵本は、何度でも読もうと思えた。
同じ絵本でも、読む人の生き方が違えば伝わり方も違うんだろう。
いい絵本だなと思っていても読めないこともある。
自分が読みたいかどうかを考える。
「選書=生き方」と思ったら、読み聞かせの敷居がグッと高くなるかもしれないけれど、そこは人生と同じで、失敗したっていいんだと思う。
選書に失敗した〜って日もある。
そんな日もあって「読み聞かせ」が楽しい。
理由3:子どもたちの言葉にしびれる
読み聞かせをしていると、子どもたちがポロっと感想をこぼす瞬間がある。
キラリと光る宝石みたいなものが、ポロリと読み聞かせをしている私の足元に転がってくる感じ。
堂々と拾っちゃいけないような気がして、こっそり盗んで帰る。
流れ星のように、耳に飛び込んでくるときもある。
絵本へのツッコミだったり、驚きだったり、詩人のようなコメントだったり。
そんな言葉を聞くと心がしびれる。
読み聞かせをした日はいつも、若返り薬をふりかけられたような気分になって出勤している。