マブエの絵本日記

絵本を読んだこと、見たこと、思うことなどを綴ります。

絵本『ボクの穴、彼の穴。』を読んだ日

穴ってなんだろう?

いつものように椅子に座り、胸の前で表紙を子どもたちに向けた。
絵本は小さく、ノート半分くらいの大きさ。
大勢に読み聞かせするにはちょっと小さな絵本。
絵本の両端を指先ではさむように持って、みんなの準備が整うのを待った。

ボクの穴、彼の穴。|作:デヴィッド・カリ、絵:セルジュ・ブロック、訳:松尾スズキ|千倉書房

ボクの穴、彼の穴。|作:デヴィッド・カリ、絵:セルジュ・ブロック、訳:松尾スズキ|千倉書房

小さく前ならえのようなポーズになった私に視線が集まった。
『ボクの穴、彼の穴。』と読み上げる。
「そこから見える?」
はじっこにいるS君の方を見ると頷いた。
『ボクの穴、彼の穴。』というちょっと風変わりな響き。
いったいどんな穴が登場するのか?
子どもたちはワクワクした様子で、ページがめくられるのを待っていた。

私は絵本を体の右側に構えた。
表紙をめくると、カーキ色の小人がたくさん並んだ図柄の見返しがあらわれる。
本当は小人ではなく、銃をもった兵士なのだけど、子どもたちがそこに気づいたかはわからない。
見返しをめくると、真っ黒に塗りつぶされた見開きページになる。

その見開きの中央には、

戦争です!

という白い文字が大きく書かれている。

私は読まずに黙ったまましばらくそのページを眺めて、子どもたちの方に顔を向けた。
前に座っていたH君と目が合うと、H君が元気に「戦争です!」と読みあげた。
教室がざわざわした。

私はH君に向かって「うん」と頷いたあと、「そう、今日はこうゆう絵本を持ってきました」と言って、右に構えていたそのページをいったん身体の正面にもどして、そのまま腕を前に伸ばした。
すると他の誰かも「戦争です」と小さく声にした。
何人かの子どもたちが連鎖するように「戦争です」と声にした。
どんな話なのかワクワクしていた空気に、ン?!と困惑する空気と、『戦争』という言葉のピリっとした空気が交じった。

私は絵本を右に構え直し、鼻から息を吸い込んだ。
そして「戦争です!」と勢いよく声にした。

そこは砂漠。

砂漠の中になにかがあります。

クイズと思ったのかS君が「わかった!穴でしょ?」と言った。
ページをめくった。

それは二つの穴。

二つ、穴の描写が現れた。
「すげえ、なんでわかったの?」と後ろの方で見ていたT君が声をあげた。
S君「だって、タイトルで穴って言ってたじゃん!」
T君「ああ!そっか!」
教室に小さく笑いが起きた。
小さな笑いの余韻が残ったままページをめくった。
榴弾やナイフ、フライパンや空き缶など、様々なものが、二つの穴の上を飛び交っている描写になった。

二つの穴には兵隊が一人ずつ入っています。

そして、彼らは戦う敵同士です。

次をめくると再び、タイトルが書かれている扉ページになった。
今度は赤く塗りつぶされた見開きに黒字で書かれている。

『ボクの穴、彼の穴。』

子どもたちの方にはもう顔を向けなかった。
タイトルの意味を察した子どもたちは静かだった。
ふたりの兵士のやり取りは、ユーモアがあった。
だけど手放しに笑えない緊張感があった。

物語は終始、片方の兵士の視点だけで語られていく。
兵士は戦争が始まった日、銃と一冊の『戦争のしおり』を渡されている。
しおりを渡された日はもうずいぶん昔のことであったけれど、兵士はずっとそのしおりを信じ過ごしていた。
兵士の心情をひたすら読み上げる時間が続いた。

敵を殺さなければならない。
でないと敵に殺されるからだ。
敵は残酷で容赦がない。
ボクらを殺し、そしてゆっくりとボクらの家族を殺す。
でもそんなことでは、彼らは殺し足りない。
ペットも、そのへんの動物も皆殺し。
町を焼きはらい、飲み水にものすごい毒を流す。
だって、彼ら、敵は、人間ではないのだから…

ドキドキした。
兵士は敵を殺すことだけを考えて、孤独な時間を過ごしている。
子どもたちもドキドキしているのが、顔を見なくても気配で伝わってくる。

(もう少し、辛抱してね)心でそう思いながら読んだ。

絵本の中盤、緊張感がふっとほどける瞬間がくる。
白昼の真っ白なページから、星の輝く夜のページに変わる。
穴の中で、満点の星空を見上げて兵士は思う。

彼も星を見たりすることがあるのだろうか。
たぶん、この満点の星空を見たら、よっぽどひどい彼でも、こんな意味のない戦争は終わったほうがいいと思うんじゃないだろうか。 

「戦争をやめたい」
そこから兵士の哲学がはじまる。
兵士は戦争をやめることを考えるようになる。
どうしたら戦争が終わるのか。

けど、ページをめくると再び緊張感がもどる。
和解に向かうのか?と思いきや、読み手のその期待は裏切られる。

でも、こちらから戦争をやめようと切り出すわけにはいかない。
もし、そうしたら、彼がボクを殺すだろう。

終わらせるためには、相手を殺すしかない。
彼を殺しさえすれば、すべて、終わる。
兵士は月の出ない夜を待ち、意を決して穴を出ていく。
暗闇の中、彼の穴に向かって這っていく。

子どもたちの感度が高まっている様子に私の緊張も増していた。
扉のタイトルを読み上げた時からずっと、子どもたちに顔を向けることなく、絵本の文字を追った。
兵士は彼の穴に向かう途中、ライオンとすれ違う危機に遭遇しながらも無事に辿り着く。
でも穴の中に彼の姿はなかった。
彼も戦争を終わらせようと、ボクを殺しに穴に向かっていたのだ。
ふたりの兵士は、互いの穴を交換するかたちとなり、また孤独な時間を過ごす。

敵の穴の中には、家族の写真があった。
絵本の中でその描写はイラストではなく、実際に生身の人間が写っている写真で表現されている。
敵の穴の中で、また兵士の哲学がはじまる。

ボクと彼はまったく同じなんだ。
彼も疲れているだろう。
ボクもそうだ。
だからわかる。

子どもたちの祈るような視線を感じながら、兵士の行く末を読んだ。

ボクはもう、じゅうぶん待った。
もういい。

兵士がとった最後の行動が描写されたページをめくり終えて、ようやく子どもたちの顔を見た。

いつものように裏表紙までめくり、絵本をくるりと返して表紙を向ける。

「『ボクの穴、彼の穴。』でした。」

そう言い終わるときには、とめていた息を吐きだすような、苦しさと安堵のなんとも言えない顔が並んでいた。

「はいったよね」

「はいったかな」

子どもたちがそれぞれの口を開く中、私は次に読む絵本に手をかけた。

 

▼絵本
ボクの穴、彼の穴。 作:デヴィッド・カリ,絵:セルジュ・ブロック,訳:松尾スズキ| 本 | 通販 | Amazon

 

追記

最初、これは戦争の絵本だと思った。
戦争の虚しさを訴える絵本だと。
でも読んでいるうちに、ここに書かれていることは「人間の心で日常的に起きている葛藤」そんなふうに思えた。

戦争はなくせない。
戦争はなくならない。
それでも戦争を終わらせたいと願うなら、自分に何ができるのか。
そんなことを思う絵本だった。

この絵本の原題はフランス語で『L'ennemi』。
日本語に直訳するなら『敵』という意味らしいです。
でも、『ボクの穴、彼の穴。』という邦題がついています。
翻訳があの「松尾スズキ」ということもあり、とんでもない下ネタを疑ってしまいましたが、この絵本から伝わるリズムと感情を言い得ていて素敵なタイトルだなと今は思っています。

『ボクの穴、彼の穴。』という邦題をつけた「松尾スズキ」さんに関しては、ちょっとした思い入れがあるので、別途記事にしたいなと思っています。