マブエの絵本日記

絵本を読んだこと、見たこと、思うことなどを綴ります。

【読み聞かせボランティア講座】どの本を読むか?

選書は生き方

読み聞かせで「何を読んだらいいですか?」という質問は、「どう生きたらいいですか?」という質問と同義です。

良い読み聞かせ方、読み聞かせに向いている絵本は確かにある。

でも最終的に何を選び読むかは、あなた以外の誰かが決めることではない。

絵本読み聞かせ講師とんちゃんの言葉だ。(一言一句、再現しているわけではないが、こんな感じのことを話してくれました。)

去年、私はとんちゃんの「読み聞かせボランティア講座」に花菜ちゃんと参加した。

受講者は4人、それぞれが読み聞かせしてみたいと思う絵本を持ち寄ってレッスンを受けた。

読む前の準備、絵本の持ち方、読み方、絵本の選び方…盛りだくさんだった。

そして何より大切なこと、いわゆるテクニックとは違う教えがそこにはあった。

読み聞かせは選書が命。

そしてそれは、あなたがどう生きたいかを考えることであると言うのだ。

私はどう生きたいか。

読み聞かせ図書ボラティア、深いっす。

深すぎる!

『ジャリおじさん』を読む勇気

ジャリおじさん|作:大竹伸朗|福音館書店

ジャリおじさん|作:大竹伸朗福音館書店(こちらで絵本の中ページが1シーン見れます)

『ジャリおじさん』は、独特な世界観を持った絵本だ。

この絵本は、読み聞かせに向いているのか向いていないのか?

私は当時、小2の息子のクラスでこの絵本を読むか迷っていた。

好きな本だけど、これは誰かに読み聞かせてもらうものではないのかもしれないと思った。

ジャリおじさんの「ジャリジャリ」の響き。

「ドドンコ トントコ ドコドコ トン ドンドコドン トコトン」とタイコおじさん。

私の声で読んでしまって、世界観を壊さないだろうか?

子どもたちがそれぞれの「心の声」で読むのが一番じゃないのか?

そんな葛藤があって、読み聞かせするのを躊躇していた。

私の手で開き、私のタイミングで次のページをめくっていくことの責任感。

いつまでも眺めていたくなるような絵の魅力を、「自分の声で壊してしまうこと」がとても怖かった。

大人に『ジャリおじさん』を読んでみたら

とんちゃんと他の受講者の前で『ジャリおじさん』を読んだ。

本を開くタイミング、読む速さ、声のトーンなどなど、意識した。

読み始めは心臓がドキドキしていた。

ページが進んでいくうちに、心臓のドキドキは聞こえなくなった。

5分程度で『ジャリおじさん』を読み終えた。

そして、とんちゃんも含め、受講していた方々から以下のようなコメントをもらった。

▼『ジャリおじさん』を見た感想(一部抜粋)

  • 不思議なストーリーと絵
  • 頭の中に???が浮かんでいました、ごめんなさい。
  • 大人が(も)楽しめる絵本ですね?
  • ストーリーは難しい?でも読み終わったあと「ジャリ?」と付けて話す子がいそう。
  • 感覚的絵本。
  • ストーリーの雰囲気とマブエの淡々とおっかなく読む感じが、世界観にあっていた。
  • 見返しも、もう少し見たかった。
  • 小学2年生ならこの絵の世界へ入っていける子がいるかもしれない。
  • こういう意味のわからない「なんなんだ?!」って絵本に出会わせるチャンスを私たちは持っているんだな。

これらの感想は、コメントシートに書かれていて、読み手に渡された。

客観的な意見はとても参考になった。

▼コメントに対する私の感想

いただいたコメントに対する私の感想を振り返るとこんな感じ。

不思議なストーリーと絵

頭の中に???が浮かんでいました、ごめんなさい。

ごめんなさい?

謝られてしまった!!( ゚Д゚)

意味がわからなくていい、わからないのがいいと思っていたので、理解できずにごめんなさいという感想は新鮮であり衝撃的だった。

 

大人が(も)楽しめる絵本ですね?

確かに、私はこの絵本を20代の頃に知って買ったもの。

画集を見るような感覚かもしれない。

子どもにはどう映るんだろう。

 

読み終わったあと「ジャリ?」と付けて話す子がいそう。

それいいな!

もし、そんな子がいてくれたらとっても嬉しい。

 

感覚的絵本。

ストーリーの雰囲気とマブエの淡々とおっかなく読む感じが、世界観にあっていた。

見返しも、もう少し見たかった。

花菜ちゃんの感想だ。

え?マブエのおっかなく読む感じって…?

おっかなく読んでいるつもりは全然なかったのだけどな。笑

冷静に声色を特に変えることなく、いつもの声で読んでいたんだけどなあ、それが怖いのか?!

具体的にどこがおっかなかったのかと聞いてみた。

椅子に座って数秒間、無言で表紙を見せていた間が、ちょっと怖くてマブエらしくて、それが良かったそうだ。

でも、表紙見せの時間に対して、「見返し」をめくるのが少し早かったとのこと。

(※見返しとは、表紙をめくって最初に見開く部分です)

「見返し」には、表紙のイラストと同じくジャリおじさんが描かれている。

黄色背景に白いラインで描かれていて、ぱっと見だと模様のように見えるのだけど、よく見ればすぐに表紙のジャリおじさんとわかるのです。

ここもゆっくりね、了解。

 

小学2年生ならこの絵の世界へ入っていける子がいるかもしれない。

こういう意味のわからない「なんなんだ?!」って絵本に出会わせるチャンスを私たちは持っているんだな。

とんちゃんの感想だ。

出会わせるチャンスかぁ。

とんちゃんは『ジャリおじさん』をクラスで読み聞かせしたことはないそうだ。

とんちゃんが読んだことがない絵本を読んでみるという好奇心が膨らんだ。

▼自分の読み聞かせ(動画)を見て

実践レッスンでは、とんちゃんが受講者のスマホで動画撮影してくれた。

その動画を確認すると…

あんなにドキドキした心臓の音は動画からは聞こえなかった。(そりゃそうだ)

自分が思っていたより、手の震えも気にならなかった。

客観的に見ると、落ち着いて読んでいるように見えた。

花菜ちゃんの言う「おっかない感じ」もなんとなくわかった。笑

やっぱり子どもたちに『ジャリおじさん』を読んでみたい

感想をもらってみて…私の覚悟は決まった!

覚悟というよりむしろ、今度は子どもたちに読んでみたくなった。

意外なことに ”ごめんなさい" という感想が、私の背中を一番押してくれた。 

もし、今日の相手が子どもだったとしたら、どんなコメントが飛び出したのだろうか。

「意味がわからない!」と叫ばれたかもしれない?

それでも伝えてみたい。

堂々と、へんてこな世界を。

我がクラスの子ども達と、このへんてこな世界観に入りたい。

そんな気持ちになった。

 

関連記事:絵本『ジャリおじさん』を読んだ日

mombook-air.hatenablog.jp

 

▼絵本
ジャリおじさん (日本傑作絵本シリーズ) 作:大竹伸朗 |本 | 通販 | Amazon

▼講座の様子(読み聞かせ絵本講師とんちゃんのブログ記事です)
実際、どんな風に読み聞かせボランティアをしているか?

 

 

転校するS君へ読んだ絵本『はじまりの日』

転校するS君に向けて

7月某日、1学期最後の読み聞かせを担当した。

S君にとっては、このクラスで最後の読み聞かせだった。

S君は、1学期が終わると引っ越して転校する。

そんなS君への読み聞かせに選んだ最後の絵本は『はじまりの日』にした。

『はじまりの日』

きみが 手をのばせば

しあわせに とどきますように


まわりの 人びとと

たすけあって いけますように


星空へのぼる

はしごを 見つけますように


毎日が きみの はじまりの日

きょうも あしたも

あたらしい きみの はじまりの日

 

”星空へのぼるはしごを見つけますように”と読んでいたら、誰かが絵本の中のはしごを見つけて、「あ、あれにのぼるんだね」ってつぶやいた。

 

▼絵本
はじまりの日 作:ボブ・ディラン,絵:ポール・ロジャース,訳:アーサー・ビナード|本 | 通販 | Amazon

 

選書は生き方

LIVE

黒板の前に置かれた一脚の椅子。

私が座るのを待っている。

子どもたちの視線があつまる。

肩から重い鞄をおろして姿勢を整える。

深呼吸。

1冊の絵本を取り出し表紙を見せる。

子どもたちとの絵本ライブがはじまる。

マイクスタンドはない。

今一瞬を読むだけ。

今日をどう生き、どう死ぬか。

自分で選んだ絵本を読むことはとても怖い。

自分の声で読むことに躊躇することもある。

でも、信じて選ぶ。

私の手でめくる。

手紙

Eちゃんへ

 f:id:mombook-air:20180709174813j:plain

手紙を書いたなら空に飛ばすんだ

風が運ぶだろう 君のところまで

青空の下 怪獣退治

ギターを片手に

輝いている夜明けまえは もう夏だ

7月9日、おめでとう

 

THE BLUE HEARTS『手紙』より引用

 

 

 

ばななせんせい【後編】

「ばななせんせい」が教えてくれた『自分言語』

ばななせんせい【前編】からの続きです。

「自分科」「自分言語」とは何か?

ちょっとまた、ぜんせいのメルマガを引用します。

☆☆☆---------------------------☆☆☆


  ばなな先生の
    あなたのこどもは世界一
       ~お母さんスイッチをオンにして素敵な子育てを~ 
     
                           No.532
                           2015.4.27   
     
☆☆☆-----------------------------☆☆☆



こんにちは
ばななです(*^O^*)


今回もどうぞよろしくお願いします。



おかげさまでお会いした方に
「自分科」っていいネーミングですね、
といってもらえることが増えました。


ありがたいです(*^O^*)



あわせて
「自分言語」
っていう響きも趣がある、
といっていただきました。



今日はそんな、
滅多にしなくなった自分言語のお話を。


今、まさに真っ最中なんですが、
くらすを担任としてまとめていると
年度当初はえらい諍いが多いのです。



それはとってもいいことで、
この時期あんまり小競り合いがないと
あとで大きいのがやってくるんです。


その頃には手遅れだったりするのてす。



もう少ししたら具体的に書きますが、



今の「魔法組」(*^O^*)でも
頻繁に起こっています。



でもそれが故にお互いのことを知って
「間」をとっていくんですね。


それがよき「仲間」になるわけです。



諍いの最大の原因は
「相手の自分言語がわからない」
によるものです。



わたしたちは25人いれば
25通りの言語でやりとりをしています。



「疑い」というフィルターでものを見ていれば
言葉に疑いがかかります。



「あきらめ」というフィルターで観ていれば
言葉にあきらめがまじります。



そのお互いの言葉を
通訳無しで解釈しているので
トラブルが起こるのです。



じつはわたしたち
日本にいながら留学しているのです。


小競り合いの際、
「本当はどうしたいの?」
と聞くと



100%
「わかって欲しかった」
「つながりたかった」
「遊びたかった」
です。



それが相手にはわからず
(だっていきなり後ろから羽交い締めとかだからねぇ)
何をしやがる、となるのです。


ぼくはその通訳をしてきました。
「~ちゃん本当はこうしたいんでしょ」
(その子に確認しつつ、相手に伝える)
「~ちゃんもじつはこうしたかったんでしょ」
これをこの時期、頻繁にやるのです。


でも、その自分言語
一見やっかいですが、


自分を知る強みになります。



「疑い」の自分言語は
「信じたい」の確認表現です。


その疑いの向こうに信じていく、という体験がまっています。


「信じるにはどうしたら良いのか」
という学びがまっています。



だからその子は
人を信じては裏切るれる、
あるいは自らも裏切るという体験や表現、学びをしていきます。



そういう場に行き、
それが必要な人たちに出会います。



つまり
自分言語=使命、あるいはあり方と言ってもいいくらいです。


そして自分言語が確立されるのが
小学校3、4年生なんです。


「小学校3、4年生、何してました」
と聞くと思い出せないのは
そこに自分言語誕生の秘話があるからかもしれません。


ちなみに
その言葉を、見方のクセを直す必要は無いし
直せないんです。


だってそうしたくって
わたしたちは生まれてきているから。


直そうとする人との出会いも
再認識するためのイベントなんです。



素敵な自分言語に花を咲かせましょう。

ばななせんせいのような人に出会えた人はラッキーだと思います。

私も、ばななせんせいのように、本来の「在り方」や「自分言語」に気づいてあげれる人になりたいと思いました。

特に、3年生になったばかりの息子のこれからの在り方を、柔らかく見守ってあげたい。

「柔らかく見守る」って私にはすごく難しいことです。

ついつい息子の今を俯瞰して見てしまい、先々のことまで手をかけたくなってしまうから。

そこをグッとこらえて、息子の「いまこの瞬間」に「それでいいよっ」て言ってあげたい。

できるかな、、、いや難しい。。

でもそれを含めて、わたしはそうゆう「おかあさん」です。

ばななせんせいは、親が「自分らしく」いれば、子どもは勝手に育つといいます。

「自分言語」を知りたい方へ

私は、「あり方スクール(通称:ありスク)」に参加して、ばななせんせいに出会うことができました。

そして『かかりのじかん』というワークを通して「自分言語」「自分の聞き癖」を体感しました。

「あり方スクール」でのことを振り返ると、顔から火が出そうになります。

自分の武器だと思っていた「観察眼」が、傲慢で卑怯な様子見に思えた瞬間があって、激しい自己嫌悪に陥りました。

いつも正直に話しているつもりだったけど、全然本音が言えてないことを知りました。

自分にも他人にも、ダメ出しのジャッジばかりしてきた自分に凹みました。

自分を好きになる『自分科』で激しい自己嫌悪に陥るなんて・・・今となっては、それも自分らしさなんですが、ほんとあの時は穴があったら入りたくなるくらい衝撃的に、自分が恥ずかしくなりました。

こんな経験は、大人になってからめったにできないと思います。

ありスクは、小学生の頃の自分に会える不思議な場所です。

想像もつかないような他の自分言語を持つクラスメイトたちに会えます。

私のように、とりあえず様子見したい派の人には、ブログをしばらく黙って見てるのもおススメです。

講座とかしている先生と聞くと、すごくしっかりした強い人を想像するかもしれませんが、ブログを読んでいると、そうでないことがすぐわかると思います。(ばななせんせい「いい意味で」ですよ!)

ばななせんせいは、すごく疲れていたり、怒っていたり、赤裸々です。

でもそんな、ばななせんせいの日常や、教室の子どもとのエピソードや、一緒に活動されているスタッフとの関わり合いを読んでいると、たくさんの「聞き癖」や「自分言語」が見えてきます。

最近は、ミセスばなな(奥様)と一緒に活動されていて、とても楽しそうです。


「自分言語」 って何?

私は自分の「自分言語」を知って、歯車がゆっくり動き出したような気がします。

「自分言語」を知ると、会話が楽しくなるし(会話をしないことも楽しいとわかるし)、悩みや課題だと思っていたコトが「在り方」に変わる瞬間があると思います。

ひとりでも多くの子どもたちが、 「自分言語」を理解してくれる大人に見守られて育ってくれたらいいなと思います。

ばななせんせいの「自分科」が、全国の小学校の道徳の授業で行われたらいいのにな~と思います。

それまでは、私は私ができる範囲で、「自分科もどき」なことをしていきたいなと思っています。

私は、すご~く遠巻きにしながら「自分言語」に近づいていきました。

「自分科」は人によって、それぞれ気づくものは違います。

ここで紹介したことは、私のフィルターで見た一面です。

さいごに

ばなな小冊子:あり方スクール・自分科・かかりのじかん

ばなな著「あなたのままでお母さんをやっていいんです」

子育てや人間関係、仕事、夫婦問題、お子さんの不登校などなど・・・いろんな悩みの核の部分は、お互いの「自分言語」を知ることでクリアになっていくような気がします。

私は、「自分科」が広まったらいいなと思いつつ、押し売りはしたくないし、無理に勧誘するつもりもないので、「ばななせんせい」をどう紹介しようか、ちょっと悩みました。

最初は、古本屋のフリーペーパーコーナーに、ばななせんせいの『小冊子』を置かせてもらったりしました。

歯医者や小児科の待合室なんかに置いてあってもいいなと思いました。

美容室にあってもいいかもしれない。

私自身、ばななせんせいを知るきっかけが、自分科講座の『小冊子』だったこともあります。

誰かに「マブエも受けなよ!」とか言われたわけではありません。

私が信頼している花菜ちゃんが、自分科を体験していて『小冊子』をさりげなくくれたのが始まりです。

そのときに「自分言語」の体験談を聞いて、面白そう、私も受けてみたいな~と思いました。

なので私も、できるだけさりげなく、この冊子を届けたいです。

無理に今すぐ読んで!とは思いません。

ここにあるよっ。てことだけお知らせしておきます。

私に会えた人は私からもらえます、欲しいって声をかけてください。

会えないけど読んでみたい方は、下記のサイトで、無料配布しています。

この小冊子には、おかあさんによくある7つのエピソードが書かれています。

私は、プールでの女の子とおかあさんとのやり取りに、ドキッとしました。

arikataschool-banana.amebaownd.com

 

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追記:2022/09/07
「あり方スクール」を私が体験した頃は、ばなな先生は小学校で現役の先生をされていたので、講座にかかる費用はほとんどないに等しかったのですが、現在は「よかよか学院」という場を設けて「自分科」「かかりの時間」活動に専念されています。
より多くの方が「かかりの時間」と出会う機会が増えたことは嬉しい反面、講座の回数と費用設定も、以前より多くなっています。
受講は敷居が高いな…と思う方へ、ばなな先生のブログとYouTubeを貼っておきます。

「かかりの時間」は、その講座を受けに来ているもの同士が鏡となって気づきを与え合うような内容で「他人」の存在が大きなカギになるような気がします。
自己内省だけでは気づけない感情・違和感が出てきます。
その違和感に自分らしさのヒントがあったような気がします。
ブログやYouTubeからもそんな違和感を感じるかもしれません。
私がここに綴った体験が誰かのヒントに繋がりますように。
そして何かに依存することなく、自立した自分に出会えますように。

ばなな先生のブログ:

【館林・全国】ばなな先生のお母さん応援プロジェクト~元教師が日本中のお母さんに「それでいい」を届けます~

YouTube

よかよかチャンネル - YouTube

 

 

ばななせんせい【前編】

「ばななせんせい」とは

前回の記事「脱!親コピー期。いざ、カスタマイズ!」で登場した「ばななせんせい」ってどんな先生か書いてみようと思います。

何から話そう・・伝えたいことが多すぎるので、記事を【前編】と【後編】分けて紹介します。

ばななせんせいは、私が大人になってから出会った「先生」です。

2年前、この小冊子を手にしたのがきっかけでした。

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ばななせんせいは、小学校の先生をしながら、自分を好きになる授業『自分科』を考案して、子どもたちやおかあさんに「ありのままの自分でいいんだよ」ということを伝える活動をされている方です。

私は2年前、この『自分科』を体験できる機会があり、そこで、ばななせんせい( 小塙 雅多加さん ) に出会いました。
※「こばなわ」と呼びにくいので「ばななせんせい」と呼ばれています。

「ばななせんせい」の前で泣く

40歳を過ぎ、母という存在になってから出会ったというのに、私は、ばななせんせいの前では小学生の教え子のようになりました。

どんな教え子かというと、ばななせんせいのメルマガに出てくるこの小学生によく似ているなと思います。

ちょっと、いったん、そのメルマガに目を通してから、ブログの続きをお読みください!

メルマガ「第852号 あらゆる人間関係」(※現在、メルマガのバックナンバーが読めないようなので、ばななせんせいの許可をいただいて引用を掲載します)

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  ばなな先生の
    あなたのこどもは世界一
       ~お母さんスイッチをオンにして素敵な子育てを~

                  No.852
                  2017.3.14

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こんにちは



あなたに「それでいい」
を届ける



才能言語化職人
ばななです(*^O^*)



どうぞよろしくお願いします。




今日は、ぼくにとって
苦手なやりとりの話



たぶんぼく自身が
自分の見立てに
ものすごくこだわっているから
こうしたやりとりに
イラっとするんだと思いますが




とんちんかんなやりとりがとっても苦手です。




クラスの話ですが
ものすごくおとなしい男の子がいます。



感性が繊細で
プリントが間違えて配られなくっても
だまってしくしく泣いているような子です。



で、あるとき、
給食のおかずが余ったので
ぼくがほしい人に配ってまわっていたんです。



ほしい人ってぼくが聞くと
ほしい子が手を挙げました。


彼がもぞもぞしていたので
欲しいのかと思って配ると



それから2日後の自学(自由学習と自主学習の混ざったノート)に
せんせいに伝えたいこと、
というテーマで


「給食をかつてに増やさないでください」
って書いてあったんです。



思わず呼んで事情を聞きました。


まず、
「かつてに入れたことごめんね」
と謝りました。



でも憮然としていたので
「もぞもぞしていたよね?」
ぼくが聞くとうなずくんです。


どうも聞くと、
減らしたかったらしいんです。



「あとに言われてもびっくりするので
 そのとき「減らして」とか
 入れられて困ったって言って欲しいな」
って言ってしまいました。



で、彼とは同じようなことがあって、



出席を呼び忘れたら
三日後くらいに
「いつも忘れないでください」
って書かれたり





レクを
みんなのぐだぐだで
まとまらなかったので
中止にすると
(主催の人に協力することが条件だったので)



数日たって
「レクをやめたからつまんなかった」
って書いているのです。



そのときは
君はお客さんかい?って聞いてしまいました。




そういうとき本人に聞くと
不思議とちっとも泣かないんです。


おそらく数日たつと
輪郭がはっきりするんでしょうね。




ぼくもそうなんですが
「わたしはうまく言えない」
っていう方は


実はかたくなで
「それはちがう」
っていうのはちゃんと持っています。



そういえばこんなこともありました。



みんなで友達の机を使ったので
彼を含めた参加者に机を片付けて
その机を借りた人にお詫びしておいて
と伝えたのに



親御さんから連絡帳がきて
「うちの子がお詫びしたようですが
 汚したという証拠はあるんですか」
と言われました。


ああ、この子は
「親には自分がやっていないのに
 お詫びをしなきゃいけなくなった」
って説明したんだと思いました。



面倒だったので
これはこういう意味だよ
と本人に親に言うように言いました。



こうやりとりをしてて気づいたんですが
ぼくの言語も独特で
たぶん、いろんな人に
「?」と思わせているんでしょう。






そう考えるとこの子の涙は
とりあえずの対処のようです。


脳内がフリーズしているとき
たぶん泣くことで
誰かが助けてくれたんだと思うのです。


実験で泣いたまま放っておいたら
自分でやっていましたから。




ある日、彼が給食のお皿を割ってしまいました。




案の定、ただ泣いているので
「いい、泣いてても良いから
 まず拾うこと。」
と一緒に拾いました。



そして一緒に謝りにいきました。




途中の階段で


「君の繊細さは嫌いじゃないよ」
と言いました。


「でも、君が本当は
 すごく強くって
 頑固なのは知ってるから」
って言いました。



「泣いても良いから
 わめいても良いから
 本当に大切なものや
 自分に必要なものは
 自分で取りに行きなさい」




そんな彼、
文集でぼくのことを書いていました。



でも、途中で内容が変わっていました。
たぶん、まだ言語化できないんでしょう。



でもね、本当に大切だったら
今伝えないとね。






ばななの絵を文集の一番高いところに描いて
しばらくしたら消しゴムで消していました。




この人を好きか嫌いか
まだよくわからないのでしょうね。





でも、おそらく
親にすらいえない
「勝手に入れないで」
が言えただけ



ぼくという存在は
成長促成材だったんだと思います。

私は『ばななせんせい』のこと、このマブエの絵本日記を始める前から書きたかったです。
けれど、なかなか書けずにいました。

なんだか、このメルマガの小学生の気持ちに似ている気がします。

このメルマガを読んだとき、小学生に握手を求めたくなるくらい「わかる!!!」って思いました。

私も、給食のトマトが食べたくなくてシクシクと泣いた経験があります。

小学3年生の時、どうして泣いているのか理由を言わず、ひたすら涙をこぼした経験を思い出しました。

そしてこの男の子のように私も、ばななせんせいと会話していると涙が出てきちゃうことがありました。

泣こうとしていないのにツーって涙が流れたり、泣かずとも目がウルウルしてきたり。

メルマガの男の子は「ばななせんせい」に心の扉をノックされたんじゃないかと思います。

ばななせんせいは「ほんとうは、どうしたいのか、こうしたいんじゃないの?」ということを見抜く臭覚のようなものがあります。

ここに隠れているのかい?って。

ばななせんせいに何か言われて、涙が出るというのは、図星だからなのかもしれません。

それまで閉じ込められていたほんとうの自分が、ばななせんせいに見つけてもらって「うれし涙」を流しているのもかもしれません。

だけど心の中でもうひとり「ちげーしっ!!!!」って叫んでる自分も感じてます。

そっちじゃねーし!!!!って。(笑)

自分の信じていた在り方を否定されたようで、責められているようで心が乱れて「くやし涙」に感じることもあります。

でも間違いなく、このメルマガの小学生も私も、ばななせんせいに救われていると思うのです。

扉の存在に気づかせてくれたから。

その扉を開けてもいいし、そのまま中にいてもいい。

少なくとも私は、『自分科』という授業を受けて『わたしの在り方』みたいなものを再認識できたと思います。

自分で自分の心の通訳ができるようになった感じです。

君はお客さんかい?

はぁ。せんせいのこの一言、ボディーブローのように効くな~。

客観的に遠く離れたところにいたがる私は思うのでした。

ばななせんせい【後編】に続きます・・・