マブエの絵本日記

絵本を読んだこと、見たこと、思うことなどを綴ります。

ばななせんせい【後編】

「ばななせんせい」が教えてくれた『自分言語』

ばななせんせい【前編】からの続きです。

「自分科」「自分言語」とは何か?

ちょっとまた、ぜんせいのメルマガを引用します。

☆☆☆---------------------------☆☆☆


  ばなな先生の
    あなたのこどもは世界一
       ~お母さんスイッチをオンにして素敵な子育てを~ 
     
                           No.532
                           2015.4.27   
     
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こんにちは
ばななです(*^O^*)


今回もどうぞよろしくお願いします。



おかげさまでお会いした方に
「自分科」っていいネーミングですね、
といってもらえることが増えました。


ありがたいです(*^O^*)



あわせて
「自分言語」
っていう響きも趣がある、
といっていただきました。



今日はそんな、
滅多にしなくなった自分言語のお話を。


今、まさに真っ最中なんですが、
くらすを担任としてまとめていると
年度当初はえらい諍いが多いのです。



それはとってもいいことで、
この時期あんまり小競り合いがないと
あとで大きいのがやってくるんです。


その頃には手遅れだったりするのてす。



もう少ししたら具体的に書きますが、



今の「魔法組」(*^O^*)でも
頻繁に起こっています。



でもそれが故にお互いのことを知って
「間」をとっていくんですね。


それがよき「仲間」になるわけです。



諍いの最大の原因は
「相手の自分言語がわからない」
によるものです。



わたしたちは25人いれば
25通りの言語でやりとりをしています。



「疑い」というフィルターでものを見ていれば
言葉に疑いがかかります。



「あきらめ」というフィルターで観ていれば
言葉にあきらめがまじります。



そのお互いの言葉を
通訳無しで解釈しているので
トラブルが起こるのです。



じつはわたしたち
日本にいながら留学しているのです。


小競り合いの際、
「本当はどうしたいの?」
と聞くと



100%
「わかって欲しかった」
「つながりたかった」
「遊びたかった」
です。



それが相手にはわからず
(だっていきなり後ろから羽交い締めとかだからねぇ)
何をしやがる、となるのです。


ぼくはその通訳をしてきました。
「~ちゃん本当はこうしたいんでしょ」
(その子に確認しつつ、相手に伝える)
「~ちゃんもじつはこうしたかったんでしょ」
これをこの時期、頻繁にやるのです。


でも、その自分言語
一見やっかいですが、


自分を知る強みになります。



「疑い」の自分言語は
「信じたい」の確認表現です。


その疑いの向こうに信じていく、という体験がまっています。


「信じるにはどうしたら良いのか」
という学びがまっています。



だからその子は
人を信じては裏切るれる、
あるいは自らも裏切るという体験や表現、学びをしていきます。



そういう場に行き、
それが必要な人たちに出会います。



つまり
自分言語=使命、あるいはあり方と言ってもいいくらいです。


そして自分言語が確立されるのが
小学校3、4年生なんです。


「小学校3、4年生、何してました」
と聞くと思い出せないのは
そこに自分言語誕生の秘話があるからかもしれません。


ちなみに
その言葉を、見方のクセを直す必要は無いし
直せないんです。


だってそうしたくって
わたしたちは生まれてきているから。


直そうとする人との出会いも
再認識するためのイベントなんです。



素敵な自分言語に花を咲かせましょう。

ばななせんせいのような人に出会えた人はラッキーだと思います。

私も、ばななせんせいのように、本来の「在り方」や「自分言語」に気づいてあげれる人になりたいと思いました。

特に、3年生になったばかりの息子のこれからの在り方を、柔らかく見守ってあげたい。

「柔らかく見守る」って私にはすごく難しいことです。

ついつい息子の今を俯瞰して見てしまい、先々のことまで手をかけたくなってしまうから。

そこをグッとこらえて、息子の「いまこの瞬間」に「それでいいよっ」て言ってあげたい。

できるかな、、、いや難しい。。

でもそれを含めて、わたしはそうゆう「おかあさん」です。

ばななせんせいは、親が「自分らしく」いれば、子どもは勝手に育つといいます。

「自分言語」を知りたい方へ

私は、「あり方スクール(通称:ありスク)」に参加して、ばななせんせいに出会うことができました。

そして『かかりのじかん』というワークを通して「自分言語」「自分の聞き癖」を体感しました。

「あり方スクール」でのことを振り返ると、顔から火が出そうになります。

自分の武器だと思っていた「観察眼」が、傲慢で卑怯な様子見に思えた瞬間があって、激しい自己嫌悪に陥りました。

いつも正直に話しているつもりだったけど、全然本音が言えてないことを知りました。

自分にも他人にも、ダメ出しのジャッジばかりしてきた自分に凹みました。

自分を好きになる『自分科』で激しい自己嫌悪に陥るなんて・・・今となっては、それも自分らしさなんですが、ほんとあの時は穴があったら入りたくなるくらい衝撃的に、自分が恥ずかしくなりました。

こんな経験は、大人になってからめったにできないと思います。

ありスクは、小学生の頃の自分に会える不思議な場所です。

想像もつかないような他の自分言語を持つクラスメイトたちに会えます。

私のように、とりあえず様子見したい派の人には、ブログをしばらく黙って見てるのもおススメです。

講座とかしている先生と聞くと、すごくしっかりした強い人を想像するかもしれませんが、ブログを読んでいると、そうでないことがすぐわかると思います。(ばななせんせい「いい意味で」ですよ!)

ばななせんせいは、すごく疲れていたり、怒っていたり、赤裸々です。

でもそんな、ばななせんせいの日常や、教室の子どもとのエピソードや、一緒に活動されているスタッフとの関わり合いを読んでいると、たくさんの「聞き癖」や「自分言語」が見えてきます。

最近は、ミセスばなな(奥様)と一緒に活動されていて、とても楽しそうです。


「自分言語」 って何?

私は自分の「自分言語」を知って、歯車がゆっくり動き出したような気がします。

「自分言語」を知ると、会話が楽しくなるし(会話をしないことも楽しいとわかるし)、悩みや課題だと思っていたコトが「在り方」に変わる瞬間があると思います。

ひとりでも多くの子どもたちが、 「自分言語」を理解してくれる大人に見守られて育ってくれたらいいなと思います。

ばななせんせいの「自分科」が、全国の小学校の道徳の授業で行われたらいいのにな~と思います。

それまでは、私は私ができる範囲で、「自分科もどき」なことをしていきたいなと思っています。

私は、すご~く遠巻きにしながら「自分言語」に近づいていきました。

「自分科」は人によって、それぞれ気づくものは違います。

ここで紹介したことは、私のフィルターで見た一面です。

さいごに

ばなな小冊子:あり方スクール・自分科・かかりのじかん

ばなな著「あなたのままでお母さんをやっていいんです」

子育てや人間関係、仕事、夫婦問題、お子さんの不登校などなど・・・いろんな悩みの核の部分は、お互いの「自分言語」を知ることでクリアになっていくような気がします。

私は、「自分科」が広まったらいいなと思いつつ、押し売りはしたくないし、無理に勧誘するつもりもないので、「ばななせんせい」をどう紹介しようか、ちょっと悩みました。

最初は、古本屋のフリーペーパーコーナーに、ばななせんせいの『小冊子』を置かせてもらったりしました。

歯医者や小児科の待合室なんかに置いてあってもいいなと思いました。

美容室にあってもいいかもしれない。

私自身、ばななせんせいを知るきっかけが、自分科講座の『小冊子』だったこともあります。

誰かに「マブエも受けなよ!」とか言われたわけではありません。

私が信頼している花菜ちゃんが、自分科を体験していて『小冊子』をさりげなくくれたのが始まりです。

そのときに「自分言語」の体験談を聞いて、面白そう、私も受けてみたいな~と思いました。

なので私も、できるだけさりげなく、この冊子を届けたいです。

無理に今すぐ読んで!とは思いません。

ここにあるよっ。てことだけお知らせしておきます。

私に会えた人は私からもらえます、欲しいって声をかけてください。

会えないけど読んでみたい方は、下記のサイトで、無料配布しています。

この小冊子には、おかあさんによくある7つのエピソードが書かれています。

私は、プールでの女の子とおかあさんとのやり取りに、ドキッとしました。

arikataschool-banana.amebaownd.com

 

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追記:2022/09/07
「あり方スクール」を私が体験した頃は、ばなな先生は小学校で現役の先生をされていたので、講座にかかる費用はほとんどないに等しかったのですが、現在は「よかよか学院」という場を設けて「自分科」「かかりの時間」活動に専念されています。
より多くの方が「かかりの時間」と出会う機会が増えたことは嬉しい反面、講座の回数と費用設定も、以前より多くなっています。
受講は敷居が高いな…と思う方へ、ばなな先生のブログとYouTubeを貼っておきます。

「かかりの時間」は、その講座を受けに来ているもの同士が鏡となって気づきを与え合うような内容で「他人」の存在が大きなカギになるような気がします。
自己内省だけでは気づけない感情・違和感が出てきます。
その違和感に自分らしさのヒントがあったような気がします。
ブログやYouTubeからもそんな違和感を感じるかもしれません。
私がここに綴った体験が誰かのヒントに繋がりますように。
そして何かに依存することなく、自立した自分に出会えますように。

ばなな先生のブログ:

【館林・全国】ばなな先生のお母さん応援プロジェクト~元教師が日本中のお母さんに「それでいい」を届けます~

YouTube

よかよかチャンネル - YouTube

 

 

ばななせんせい【前編】

「ばななせんせい」とは

前回の記事「脱!親コピー期。いざ、カスタマイズ!」で登場した「ばななせんせい」ってどんな先生か書いてみようと思います。

何から話そう・・伝えたいことが多すぎるので、記事を【前編】と【後編】分けて紹介します。

ばななせんせいは、私が大人になってから出会った「先生」です。

2年前、この小冊子を手にしたのがきっかけでした。

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ばななせんせいは、小学校の先生をしながら、自分を好きになる授業『自分科』を考案して、子どもたちやおかあさんに「ありのままの自分でいいんだよ」ということを伝える活動をされている方です。

私は2年前、この『自分科』を体験できる機会があり、そこで、ばななせんせい( 小塙 雅多加さん ) に出会いました。
※「こばなわ」と呼びにくいので「ばななせんせい」と呼ばれています。

「ばななせんせい」の前で泣く

40歳を過ぎ、母という存在になってから出会ったというのに、私は、ばななせんせいの前では小学生の教え子のようになりました。

どんな教え子かというと、ばななせんせいのメルマガに出てくるこの小学生によく似ているなと思います。

ちょっと、いったん、そのメルマガに目を通してから、ブログの続きをお読みください!

メルマガ「第852号 あらゆる人間関係」(※現在、メルマガのバックナンバーが読めないようなので、ばななせんせいの許可をいただいて引用を掲載します)

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  ばなな先生の
    あなたのこどもは世界一
       ~お母さんスイッチをオンにして素敵な子育てを~

                  No.852
                  2017.3.14

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こんにちは



あなたに「それでいい」
を届ける



才能言語化職人
ばななです(*^O^*)



どうぞよろしくお願いします。




今日は、ぼくにとって
苦手なやりとりの話



たぶんぼく自身が
自分の見立てに
ものすごくこだわっているから
こうしたやりとりに
イラっとするんだと思いますが




とんちんかんなやりとりがとっても苦手です。




クラスの話ですが
ものすごくおとなしい男の子がいます。



感性が繊細で
プリントが間違えて配られなくっても
だまってしくしく泣いているような子です。



で、あるとき、
給食のおかずが余ったので
ぼくがほしい人に配ってまわっていたんです。



ほしい人ってぼくが聞くと
ほしい子が手を挙げました。


彼がもぞもぞしていたので
欲しいのかと思って配ると



それから2日後の自学(自由学習と自主学習の混ざったノート)に
せんせいに伝えたいこと、
というテーマで


「給食をかつてに増やさないでください」
って書いてあったんです。



思わず呼んで事情を聞きました。


まず、
「かつてに入れたことごめんね」
と謝りました。



でも憮然としていたので
「もぞもぞしていたよね?」
ぼくが聞くとうなずくんです。


どうも聞くと、
減らしたかったらしいんです。



「あとに言われてもびっくりするので
 そのとき「減らして」とか
 入れられて困ったって言って欲しいな」
って言ってしまいました。



で、彼とは同じようなことがあって、



出席を呼び忘れたら
三日後くらいに
「いつも忘れないでください」
って書かれたり





レクを
みんなのぐだぐだで
まとまらなかったので
中止にすると
(主催の人に協力することが条件だったので)



数日たって
「レクをやめたからつまんなかった」
って書いているのです。



そのときは
君はお客さんかい?って聞いてしまいました。




そういうとき本人に聞くと
不思議とちっとも泣かないんです。


おそらく数日たつと
輪郭がはっきりするんでしょうね。




ぼくもそうなんですが
「わたしはうまく言えない」
っていう方は


実はかたくなで
「それはちがう」
っていうのはちゃんと持っています。



そういえばこんなこともありました。



みんなで友達の机を使ったので
彼を含めた参加者に机を片付けて
その机を借りた人にお詫びしておいて
と伝えたのに



親御さんから連絡帳がきて
「うちの子がお詫びしたようですが
 汚したという証拠はあるんですか」
と言われました。


ああ、この子は
「親には自分がやっていないのに
 お詫びをしなきゃいけなくなった」
って説明したんだと思いました。



面倒だったので
これはこういう意味だよ
と本人に親に言うように言いました。



こうやりとりをしてて気づいたんですが
ぼくの言語も独特で
たぶん、いろんな人に
「?」と思わせているんでしょう。






そう考えるとこの子の涙は
とりあえずの対処のようです。


脳内がフリーズしているとき
たぶん泣くことで
誰かが助けてくれたんだと思うのです。


実験で泣いたまま放っておいたら
自分でやっていましたから。




ある日、彼が給食のお皿を割ってしまいました。




案の定、ただ泣いているので
「いい、泣いてても良いから
 まず拾うこと。」
と一緒に拾いました。



そして一緒に謝りにいきました。




途中の階段で


「君の繊細さは嫌いじゃないよ」
と言いました。


「でも、君が本当は
 すごく強くって
 頑固なのは知ってるから」
って言いました。



「泣いても良いから
 わめいても良いから
 本当に大切なものや
 自分に必要なものは
 自分で取りに行きなさい」




そんな彼、
文集でぼくのことを書いていました。



でも、途中で内容が変わっていました。
たぶん、まだ言語化できないんでしょう。



でもね、本当に大切だったら
今伝えないとね。






ばななの絵を文集の一番高いところに描いて
しばらくしたら消しゴムで消していました。




この人を好きか嫌いか
まだよくわからないのでしょうね。





でも、おそらく
親にすらいえない
「勝手に入れないで」
が言えただけ



ぼくという存在は
成長促成材だったんだと思います。

私は『ばななせんせい』のこと、このマブエの絵本日記を始める前から書きたかったです。
けれど、なかなか書けずにいました。

なんだか、このメルマガの小学生の気持ちに似ている気がします。

このメルマガを読んだとき、小学生に握手を求めたくなるくらい「わかる!!!」って思いました。

私も、給食のトマトが食べたくなくてシクシクと泣いた経験があります。

小学3年生の時、どうして泣いているのか理由を言わず、ひたすら涙をこぼした経験を思い出しました。

そしてこの男の子のように私も、ばななせんせいと会話していると涙が出てきちゃうことがありました。

泣こうとしていないのにツーって涙が流れたり、泣かずとも目がウルウルしてきたり。

メルマガの男の子は「ばななせんせい」に心の扉をノックされたんじゃないかと思います。

ばななせんせいは「ほんとうは、どうしたいのか、こうしたいんじゃないの?」ということを見抜く臭覚のようなものがあります。

ここに隠れているのかい?って。

ばななせんせいに何か言われて、涙が出るというのは、図星だからなのかもしれません。

それまで閉じ込められていたほんとうの自分が、ばななせんせいに見つけてもらって「うれし涙」を流しているのもかもしれません。

だけど心の中でもうひとり「ちげーしっ!!!!」って叫んでる自分も感じてます。

そっちじゃねーし!!!!って。(笑)

自分の信じていた在り方を否定されたようで、責められているようで心が乱れて「くやし涙」に感じることもあります。

でも間違いなく、このメルマガの小学生も私も、ばななせんせいに救われていると思うのです。

扉の存在に気づかせてくれたから。

その扉を開けてもいいし、そのまま中にいてもいい。

少なくとも私は、『自分科』という授業を受けて『わたしの在り方』みたいなものを再認識できたと思います。

自分で自分の心の通訳ができるようになった感じです。

君はお客さんかい?

はぁ。せんせいのこの一言、ボディーブローのように効くな~。

客観的に遠く離れたところにいたがる私は思うのでした。

ばななせんせい【後編】に続きます・・・

 

 

脱!親コピー期。いざ、カスタマイズ!

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いよいよ、息子が小学3年生になりました。

4月から、息子が「小学3年生」として小学校に通っています。

はやいな~。

私は、息子が「小学3年生」を迎えるのを特別な思いで待っていました。

なぜかというと、

「小学3・4年生の在り方が、本当のその子らしさ」

と、「ばななせんせい」が言っていたからです。

「小学1・2年生は親のコピー期、小学5・6年生は親の社会性のコピー期」

なのだそうです。

親コピー期の中間にある小学3・4年生に「その子が、その子らしくある在り方」が出始めるというのです。

じゃあ、親コピー期の悩みって・・・

ばななせんせいのこの説、聞いた瞬間は「へえ~(鵜呑み)」って思いました。

でもその2秒後ぐらいに「え?ちょっと待って」と思いました。

だって、、、ということは、、、

コピー期の息子に対する悩みは、そのまま自分自身の悩みということになるのか!?

この親コピー説を聞いたのは、息子が「親コピー期」真っ盛りの頃です。

その頃の私は、息子(当時5~6歳くらい)に対して悩んでいたのです。

自分の親としての関わり方に自信が持てずにいた頃でした。

  • 息子の本音がわからない
  • 息子は、周りに気をつかって本音を言ってないような気がする
  • 察してもらうまで、自分の要求を言わないでいる

親コピー説を信じるなら、私が本音を言ってないということになるわけですよ。

上の項目全部、自分に跳ね返ってくるわけです。

そう考えると「まさか!(コピー!?)」と思いました。

私、どちらかといえば本音で生きてる方だし!

全然、いつも本音言ってるし!と。

じゃあ、父親(夫)の方をコピーしてるのか?

ん?じゃあ幼少期の兄弟・姉妹・双子は、みな同じ性格になっちゃうってこと?

・・・って頭の中に、いろんな疑問が沸きました。

やっぱり、コピーされてた

私の中でいろんな「?」が沸き起こったこの説ですが、今は腑に落ちています。

考えてみれば、人間も動物なのだから、最初は本能的に身近な存在を真似る。

身近な親を模倣の対象として、成長するために生き方を真似る時期がある。

生きるための戦略として、ごく自然に親をコピーしようとするんだと納得しました。

同じ親をコピーしてても、兄弟や双子で違いが出るのも生きるための戦略なのかなと。

やばい、キャラかぶるじゃん!じゃあ反転コピーで真似るよ。みたいな?

ばななせんせいは、こうも言いました。

こどもは、おかあさんの「ほんとう」を見抜いている。

そして、おかあさんのほんとうの姿を愛している

私はこの説を、じわりじわりと受け入れました。

息子は懸命に私をコピーしてくれたなあと思います。

私の本音を言わない関わり方をコピーして見せてくれていました。

本音をなかなか見せない親のコピー期を終えて、息子はこれからどんな在り方を示していくのかなぁ。

コピーから、どんなカスタマイズをしていくのか、楽しみだけど、ちょっとこわいです。

くそばばぁああとか言われちゃうのかなー。笑

---

※ばななせんせいについて

ばななせんせいの親コピー説が気になった方は、ばななせんせいのインタビュー記事もぜひ読んでみてください。

私は、このインタビュー記事にある「あり方スクール」の自分科・かかりの時間を体験して、自分が本音をなかなか言わないでいたと気づきました。(^^;

ママのための学校『あり方スクール』インタビュー「頑張りすぎるママへ」伝えたいこと(1/3) - ハピママ*

 

「ばななせんせい」について記事を書きました。

ばななせんせい【前編】
ばななせんせい【後編】

 

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追記:2022/09/07
「あり方スクール」を私が体験した頃は、ばなな先生は小学校で現役の先生をされていたので、講座にかかる費用はほとんどないに等しかったのですが、現在は「よかよか学院」という場を設けて「自分科」「かかりの時間」活動に専念されています。
より多くの方が「かかりの時間」と出会う機会が増えたことは嬉しい反面、講座の回数と費用設定も、以前より多くなっています。
受講は敷居が高いな…と思う方へ、ばなな先生のブログとYouTubeを貼っておきます。

「かかりの時間」は、その講座を受けに来ているもの同士が鏡となって気づきを与え合うような内容で「他人」の存在が大きなカギになるような気がします。
自己内省だけでは気づけない感情・違和感が出てきます。
その違和感に自分らしさのヒントがあったような気がします。
ブログやYouTubeからもそんな違和感を感じるかもしれません。
私がここに綴った体験が誰かのヒントに繋がりますように。
そして何かに依存することなく、自立した自分に出会えますように。

ばなな先生のブログ:

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『ぼく、にげちゃうよ』が好きになった

母が子供の自立心を潰す怖い絵本だと思ったけど

ぼくにげちゃうよ

ぼくにげちゃうよ|文:マーガレット・ワイズ・ブラウン|絵:クレメント・ハード|訳:岩田みみ|ほるぷ出版

この絵本、読み方次第ではかなり恐怖なんですが、私は好きです。
昨日、はっきり好きだと言えるようになりました。
昨夜の読みきかせで、小2の息子がリクエストしてきて、久々に読みました。

なぜ、読み方次第で恐怖かというと、このウサギのお母さん、必ず子ウサギの息子を捕まえるのです。
子ウサギがあの手この手で逃げようとしても、ならば私はこうするわよ!っと逃がさない。

お母さんの執念がすごい。
すると、最終的に子ウサギは逃げるのを諦めちゃうんです。

「ふうん。だったら、うちにいて、かあさんのこどもでいるのと おんなじだね」と。

怖くないですか?!

でも、逃げ方と追い方がファンタジー

この絵本、子供の自立をダメにしちゃうやつじゃないのか?!って最初は思いました。
でも、この絵本の魅力的なところは、逃げ方と追い方がファンタジーなんです。

この絵本を最初に読んだのは息子が小1のときでした。
怖い絵本だなと思っていましたが、見開き絵で盛り上がると確信していたので、読み聞かせボランティアでクラスの子ども達の前でも読みました。

この絵本のストーリーには展開パターンがあって、最初は親子の言葉のやり取りがあります。

子ウサギ「ぼく、にげちゃうよ!〇〇になってなんちゃらかんちゃら~」
母ウサギ「お前が〇〇になるなら、母さんは△△になってなってなんちゃらかんちゃら~」

このとき挿絵はモノクロ画です。
でも次のページを開くと、カラーの見開き絵になります。

そして、〇〇になった子ウサギと△△になった母ウサギの様子が描かれている。
見開きに文字は一切なくて、絵だけが物語ります。

宣言どおりに、子ウサギが〇〇になっていて、母ウサギが△△になっている。
たぶん、親子の会話でちょっと想像したイメージの斜め上をいく絵なんです。
斜め上というか、想像しきれなかった部分がちゃんと絵になっている。

この見開き絵のタイミングはしばらく眺めて楽しめます。

子ども達の反応はというと、、指さして盛り上がる。

これぐらいの年頃の子どもにしてみたら、大好きなママが追いかけてくれるって感じなんでしょうか。

母ちゃんスゲーっ

昨日も、久しぶりに読んでみて息子は笑ってました。
今まであまり気にしていなかったある箇所に気づいて。
子ウサギが魚になって逃げるシーンで、母ウサギは漁師になっているところなんですが、その母の前の大木がバキッと折れている。

なんで折れているのか?!
母がバキッと蹴りでもいれたのか拳で殴ったのか?!

母ちゃんすごっ、こわっ。笑
そんなこと想像して、笑いました。

読み方次第では恐怖です。
けど、だんだん執念の母がコミカルに見えてきて、途中から母ウサギと子ウサギのお約束漫才のように読みました。

子ウサギ「ぼくにげちゃうよん♪」
母ウサギ「じゃあこうするよん♪」
みたいな、ノリノリな感じで読んでみました。

どちらも内心、「逃げなくてもいいや」「逃げてもいいや(いいのよ)」みたいな感じです。

「だったら、うちにいて、かあさんのこどもでいるのと おんなじだね」ってセリフが、
「なんだ、逃げても逃げなくても自由だね」って思えたから不思議。

この絵本、好きになりました。

 

▼絵本

ぼくにげちゃうよ (海外秀作絵本) | マーガレット・ワイズ・ブラウン, クレメント・ハード, 岩田 みみ |本 | 通販 | Amazon

 

 

 

HAPPY BIRTHDAY

3月14日、今日は花菜ちゃんの誕生日なので。

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今日、花菜ちゃんとのメッセージのやり取りで、ブログに絵をアップする流れになりました。

誕生日だし、花菜ちゃんにちなんだ絵を描きたいなって言ったら、じゃあ描いたらブログにあげてって言われて。

 

今また描こうとする私がいるのは、花菜ちゃんのおかげ(その時の記事はこちら)なので、花菜ちゃんにちなんだ絵をアップするのは良いきっかけになるなと思いました。

 

でもさっきまでは、絵をアップするのは今日じゃなくて、描きあがったとき、いつになるかわからないけれど、「いつか」って思ってました。

 

でも、先延ばしにするのはやめようと。
やっぱり今日、捧げようと。

 

でも、もう”今日”は30分しかない。
なので、昔に描いた絵だけれど、この絵をアップすることにしました。

この絵は、20年くらい前に描いたもの。
私たちが23歳の誕生日を迎えた頃に描いたものです。
時の流れを絵にできたシミがリアルに語ってる。

 

先が見えなくて、不安で、でも夢があった頃。
二人でよく泣いて、笑った頃。

 

20年経った今でも同じように、それ以上に、不安もあるけれど。
一緒にずっと泣いたり笑ったりできていることに感謝しかない。

 

花菜ちゃん、ありがとう。
そして、お誕生日おめでとう!

 

間に合った〜!! 

 

20ウン年ぶりの水張り

とりあえず、好きな色を塗ろうと描き始めたマブエですが…
またすぐに壁にぶつかりました。
紙って濡れるとボコボコしてくるの忘れてた!

舐めてた〜。

昔、アトリエ時代、毎日のようにやっていた水張りをしていませんでした。
気持ちよくアクリル絵具を溶いて滲ませていたら、あれよあれよと波打つ画用紙。

テンション駄々落ちです。

翌日、花菜ちゃんにLINEで「こんなにボコボコするっけ?!」て送信。
「花菜ちゃんは毎回、水張りしてるのか?」と問う。

花菜ちゃんはイラストボードで描いてるからそんなに気にならないと返答が来る。
でも水をたっぷり含ませると、ボードでもかなりボコるよと。

そっかー。
よっしゃ水張りしますかっ!
日を改めて、水張りテープとパネルを買いに行きました。

こうゆう画材を買いに行く行為そのものが、描き始めた自分に訪れた久しぶりの経験。
いろいろと物入りね〜って思いつつ、どこか嬉しい。

 

いざ水張り


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水張りテープの色は白派です。
黒色、緑色、グレー、クラフトと、アトリエ時代にいろいろ試して白が一番好き。
ほんのちょっとの違いだけど、白が一番薄くて折り曲げやすい。(気がする)
白テープだと、側面まで画面が続く感じになるのも好きです。
パネルは小さいサイズを買いました。

アトリエ時代はB2パネルを使っていたので、このサイズならお茶のこ!って余裕で水張り始めたけど、ブログ用にと写真を撮りながらやってたら紙が乾き始めてちょっと慌てました。

20ウン年ぶりに水張りやってみて、楽しかった。
絵?絵はまだ描いてません。
張ったままです。

ガネーシャが睨んでます。